紅葉も盛りを過ぎて一雨ごとに気温が下がりいよいよ冬がやって来ます感が否めません。川根本町千頭周辺はハラハラと落ち葉が舞い散るそんな昨日今日となりました。
ここ最近は冬メンパの木地の仕込みをがっつりと日々取り組んでおりました。メンパ屋の日々では漆塗りと同軸でかつ同量程度の木地造りが当然のようにあります。そういう意味では井川メンパ職人というのは木地師と塗師を併せて行うけっこうハードルの高い工藝職と言えるかもしれません。
メンパ屋5年目にして思うのはあまり陽の当たらない木地師という運命の刹那を最近とても感じていまして、そこに確かに息づいていた山人の暮らしと原始風社会の再興というのも私の運命かと思うようになっております。
木地師とは木を躯体にした器、道具といったものを山の中で集団生活しながら荘園社会には属さずにある種の権力から独立した特殊技能を生業に生き残ってきた集団。とも言えるかもしれません。
古来こういった木地師の集団というのは全国に散らばりながら独自のネットワークでつながって縄文的な風俗と風習を踏襲しながら近代まで実はつながってきた漂白の民とも言える人々のことであり、山窩というような表現で言われることもあるかと思います。
木地師にもいくつかあって、ろくろを使った刳物を作る刳物師。我々のようなわっぱをつくる曲げ物師。桶を作る箍物師。というように細分化されたりします。ただこれらの人々の源流はどれもがやはり街ではなく、長い間山から山へと移動しながら木を切り出し加工しながら村社会と自然の狭間で行き交っていたのですが、近代になり山から降りて街に拠点を持った木地師達が時代の波に呑まれてあっという間に絶滅していったというのが今日のお話。
当然生き残っている木地師さんもたくさんいるのですが全体的な話をしておりますのでご理解いただきたいのですが、なぜ木地師の大部分が廃業していったのかというところを少し。
私も井川メンパをやるようになり漆器業界、伝統工芸業界というものに首を突っ込んで見てそこで見えてきたヒエラルキーであったり立ち位置の関係性というのは業種によって、また業種内でもかなりあると思っています。
例えば漆器の生産工程で見ていくと土台にあるのが正に木地師なのですがその木地師が一番弱い立場にあるということです。どういうことかというと業界の下請け構造というのはどんな業種でもあると思いますが、やはり最終販売者に近い塗師が一番利益を得やすいという構造なのです。
木地を作ってもそれだけでは商品として完結しづらいわけで、それを加飾塗装する塗師に降ろすということになりがちなわけです。塗師は当然業界が疲弊してくると買い取り値を叩いてでも自分たちの利益を確保するでしょうし、実際そうなってきたんだと感じています。だから塗師だけ生き残って木地師が全滅しているというような雰囲気なのです。皆はっきりは言いませんけども。
本来漆器というものは木地の段階でそのポテンシャルが決まると私は思っています。製材から加工まで一貫して行うようになると木地取りや木目の在り方や木の育ち方など万象に渡って意識を巡らせていかなければ単なる木の器にしかならないのです。
例えば井川メンパで言えば曲げ板は必ず柾目で取ります。何故か?それは白木の上に柿渋の下地を塗っただけの構造となれば当然のように縁や角が弱く使い込めば漆が落ちてくるものです。ということを大前提にしているので柾目で取る。と言えます。つまり水が染みこんでも木の目がそれを防いでくれる構造。ということなのです。こういうことは修行では一切教わったことではなく、自分なりに木の事を熟知した先祖がなぜこのように材を扱ったのかを煮詰めて考えた結果にわかったことです。でありますから、昨今板目の美しさをもって曲げ板を板目構造で作る曲げわっぱが主流になりつつありますが、それは確かに見た目は美しいのですが、構造的強度で言えば断然柾目であるべきかと思うのです。
ただ縁や角を麻布などで補強する工程を設ける等したわっぱであれば板目取りでもいいのではないかと思いますが、そこまで加飾していくともはや芸術品というようなジャンルに陥るように感じ私はあまり好きではありません。とかいいつつたまに小さいものだけですが、板目でメンパ特注で作ったりすることもあります。こういうことを理解した上でも板目メンパが欲しい人は相談してみてください。気分が乗ってたらやるっていうかもしれません。
言い換えれば木地のポテンシャルが高ければ塗りは如何ようにも持っていける。等と言うと怒られますが実は木地ありきなのです。漆器って。
賞をいくつもとった伝統工芸士や人間国宝とか冠をたくさん掲げている権威者に木地から漆器を作り上げている人々がどれだけいるでしょうや?
ただこの木地師ももはや絶滅に近い時代となり、また木工機械が安価でハイスペックなものが出まわるようになり、ネットでいくらでも技法が公開されるようになった昨今。木地から一貫した制作を行える環境に今なったと言えると思うのです。ですから言いたいのです。全ての塗師は山野に回帰せよと。
そういう意味でのボーダーレスな民藝社会を作り出すことが必須だと思います。木地は確かに問屋から買えるでしょう。ただその木地は皆同じような雰囲気と造りであり、由来がありません。どの山からどのような人に育てられてどのように切りだされてここにあるのかを切り捨てているので魂というようなものが宿る依代のきっかけを落として来てしまった単なる木地。と申せましょうか。。。。
情報が氾濫する中で一番安価なものに飛びつくというのは意外に簡単な方法なのです。数字だけを追いかければたどり着けるからです。大事なのはボーダーを飛び越えた時に産まれる感じらる価値の内包です。私はストーリーが欲しい。なんて表現したりしますが、物に宿るストーリーにこそ価値を置くべき時代かと思うのです。
そこいくとメンパ屋は製材もやれば木地も作るし柿渋も作るし漆も塗るし、漆を育てて漆掻きまでやったりするしお客さんと対面販売しているしでもうストーリーは満腹です。
木地師という人々に敬意を塗師という人々は持ってこれからの制作にぶっこんで行きましょう。その方が絶対いいものつくれると大井屋はえへんえへんとえらそうに考えております。
最後に現在の在庫状況ですが、小判型はそこそこまだ有ります。丸型が薄くなってきたかと思いますので遠方よりご来店の方はぜひ在庫確認のお電話をいただければ間違いないと思います。よろしくお願いします
今後も井川メンパ大井屋の活動をご贔屓いただければ幸いです。
諸々のお問い合せは井川メンパ大井屋まで
静岡県榛原郡川根本町千頭1225-8
050-5894-2806
maedapassion@gmail.com
営業時間 9;00-17;00
定休日 水曜
メンパの塗り直しは2月8月にまとめて行っております。塗り直し代金はSサイズ3千円から
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