静岡駅アスティの楽市にて9日間行いました展示も今日で終わりました。おかげ様で今回持ち込んだ商品の3分の2が売り切れまして、残ったスタンダード物もそのまま楽市さんへ在庫として収めましたので今回来店できなかった方も、定番商品ではありますが少しだけ楽市さんに残っております。お早めにチェックしてください。またしばらく出来上がるまでに時間がかかりますので、この夏に使うならぜひ!!
さてさて、今回の展示会でも改めて再確認できたのが井川メンパのコストパフォーマンスについてです。お客様と対話していて感じるのは、とにかく井川メンパが他の産地ものに比べて割安ということ。
自分でも思います。確かに安い。体感的には3割安い感否めません。
価格が安いというのは、ある意味商品の価値と受け取られてしまう可能性があり個人的にはもっと高くても良いだけのクヲリティを維持していると思っていますが、そこは師匠望月氏の考え。食っていければまーとりあえずいいじゃねーか。と。
しかしこれ以上安くしてしまうのは、原価を無視してしまうことになるのである意味ギリギリのラインだと思われます。本当にこの値段でこれだけの手間暇をかけた商品が手に入るのは井川メンパだけだと自負できる理由。それはオールインワンの職人だからこそだという事実です。
通常漆器というのは、何段階も職人集団の手を経て製品となります。例えば有名所の輪島塗。いわゆる輪島八職と言われるそうで、塗りの工程だけでも下地専門の家、仕上げ塗り専門の家、研ぎ専門の家。というように職能集団ごとに別れていて、大量の商品を制作することを前提にそれら集団がさらに集住して一つの組織として機能しながら生産をしてゆくのです。
駿河の国もまさに同じような経緯で、駿河漆器等はそういった職能集団に分かれて生産していたようです。しかし、そこにも現代においては問題があります。どこかが欠けると生産のラインが止まってしまうということ。実際塗師といわれる漆塗りの部分だけが近代においては評価され、木地師等が軽んじられてきた事実があります。当然その中で木地の生産が無くなりつつある現実があり、近い将来これらが大問題に発展する可能性があります。実際木地の良し悪しは漆を塗った際に如実に現れるのです。
井川メンパが生き残ってこれた理由はまさにここにあるかと思われます。
木地の生産、曲物の工程、漆塗り。すべて井川メンパは職人1人が兼業しているのです。極論言うと木を切り倒す瞬間から立ち会っています。本当に手間暇は無視し、全て自前で行っているのです。また恐らくは山奥過ぎて自分で何から何までやらざるを得ない状況だったと言えます。わざわざ塗師に頼むために半日かけて駿府まで降りることはできないわけですから。
さらには明治以降急速に全国の曲げわっぱ生産が終了していったのに、井川メンパが生き残ったのは生産の工程を全てオールインワンでおこないコストを下げていたということ、山奥すぎてこの産業以外やることもなく採算が悪くても手放さなかったというのが本当のところだろうと推測できます。その2点が生き残った理由なのです。
でありますから、例えば塗りにおいてもそこは専門集団の塗師の皆さんから見れば井川メンパは大雑把に映るかもしれません。芸術性を無視し、ひたすらに機能性とコストを意識したならばそれは致し方のないことでありますが、その中でも最善の努力をしてきたのが井川メンパかと思います。こんなに分厚く塗りつけていくっていう漆器も類を見ないでしょう。生産者のエゴではなくユーザーの価値観にマッチングを目指した結果だと言えるかもしれません。
全てにおいて、我々はオンリーワンの制作を行っています。
それが究極の生き残る道であり、井川メンパと弁当箱の物語の核心だと感じます。
とにかく安ければ良いという価値観はもう皆さん飽き飽きしているでしょう。
だからと言って高い価格が価値を産む訳ではなく、プロダクトのハイクヲリティを追求しコストパフォーマンスもユーザーに寄り添ってくれる。こういうものこそ未来へ引き継がれるホンモノだと思います。それが井川メンパではないでしょうか。
まずは実際に手にとってみて、そこから感じる感覚でもって買うか決めてみるのもいいかもしれませんね。皆さんがリアルに手にしてみてくれることを願っています。すべての工芸品は手に持ってから買うか決めるべきです。それが本当に価値あるものかどうか?それは己の直感が感じるままに信じてみるべきでしょう。
ネット販売の主流な昨今、ユーザーコメントが全てになってしまうようでは井川メンパの本当の価値が伝わらないと思うので、もっとそこをなんとか面白い手法はないものかと悩む毎日であります。
さてさて、今回の展示会でも改めて再確認できたのが井川メンパのコストパフォーマンスについてです。お客様と対話していて感じるのは、とにかく井川メンパが他の産地ものに比べて割安ということ。
自分でも思います。確かに安い。体感的には3割安い感否めません。
価格が安いというのは、ある意味商品の価値と受け取られてしまう可能性があり個人的にはもっと高くても良いだけのクヲリティを維持していると思っていますが、そこは師匠望月氏の考え。食っていければまーとりあえずいいじゃねーか。と。
しかしこれ以上安くしてしまうのは、原価を無視してしまうことになるのである意味ギリギリのラインだと思われます。本当にこの値段でこれだけの手間暇をかけた商品が手に入るのは井川メンパだけだと自負できる理由。それはオールインワンの職人だからこそだという事実です。
通常漆器というのは、何段階も職人集団の手を経て製品となります。例えば有名所の輪島塗。いわゆる輪島八職と言われるそうで、塗りの工程だけでも下地専門の家、仕上げ塗り専門の家、研ぎ専門の家。というように職能集団ごとに別れていて、大量の商品を制作することを前提にそれら集団がさらに集住して一つの組織として機能しながら生産をしてゆくのです。
駿河の国もまさに同じような経緯で、駿河漆器等はそういった職能集団に分かれて生産していたようです。しかし、そこにも現代においては問題があります。どこかが欠けると生産のラインが止まってしまうということ。実際塗師といわれる漆塗りの部分だけが近代においては評価され、木地師等が軽んじられてきた事実があります。当然その中で木地の生産が無くなりつつある現実があり、近い将来これらが大問題に発展する可能性があります。実際木地の良し悪しは漆を塗った際に如実に現れるのです。
井川メンパが生き残ってこれた理由はまさにここにあるかと思われます。
木地の生産、曲物の工程、漆塗り。すべて井川メンパは職人1人が兼業しているのです。極論言うと木を切り倒す瞬間から立ち会っています。本当に手間暇は無視し、全て自前で行っているのです。また恐らくは山奥過ぎて自分で何から何までやらざるを得ない状況だったと言えます。わざわざ塗師に頼むために半日かけて駿府まで降りることはできないわけですから。
さらには明治以降急速に全国の曲げわっぱ生産が終了していったのに、井川メンパが生き残ったのは生産の工程を全てオールインワンでおこないコストを下げていたということ、山奥すぎてこの産業以外やることもなく採算が悪くても手放さなかったというのが本当のところだろうと推測できます。その2点が生き残った理由なのです。
でありますから、例えば塗りにおいてもそこは専門集団の塗師の皆さんから見れば井川メンパは大雑把に映るかもしれません。芸術性を無視し、ひたすらに機能性とコストを意識したならばそれは致し方のないことでありますが、その中でも最善の努力をしてきたのが井川メンパかと思います。こんなに分厚く塗りつけていくっていう漆器も類を見ないでしょう。生産者のエゴではなくユーザーの価値観にマッチングを目指した結果だと言えるかもしれません。
全てにおいて、我々はオンリーワンの制作を行っています。
それが究極の生き残る道であり、井川メンパと弁当箱の物語の核心だと感じます。
とにかく安ければ良いという価値観はもう皆さん飽き飽きしているでしょう。
だからと言って高い価格が価値を産む訳ではなく、プロダクトのハイクヲリティを追求しコストパフォーマンスもユーザーに寄り添ってくれる。こういうものこそ未来へ引き継がれるホンモノだと思います。それが井川メンパではないでしょうか。
まずは実際に手にとってみて、そこから感じる感覚でもって買うか決めてみるのもいいかもしれませんね。皆さんがリアルに手にしてみてくれることを願っています。すべての工芸品は手に持ってから買うか決めるべきです。それが本当に価値あるものかどうか?それは己の直感が感じるままに信じてみるべきでしょう。
ネット販売の主流な昨今、ユーザーコメントが全てになってしまうようでは井川メンパの本当の価値が伝わらないと思うので、もっとそこをなんとか面白い手法はないものかと悩む毎日であります。