先日、静岡市葵区井川の小河内という集落に行って来ました。ここは私の母が産まれた村。
つまり私の先祖が暮らしてきた場所です。井川の最奥、静岡市の最北端の集落になります。

昔このあたりは正に陸の孤島というべき地域で、それこそ冬場になると外界とは隔絶された空間であり、主産業は焼き畑農業だったようです。冬場の農閑期には手仕事として曲物がされ、柄杓や椀を作っては春になると駿府の街まで降りて行商をしたそうです。

そんな小河内に伝わる伝承では、その曲物の技術を教えたのが【イセソーホー】なる人物とのこと。
この人がメンパの技術を伝える代わりに、【ひよんどり】というお祭りを毎年開催して、我名を祀れと言ったとか。ひよんどりというのは火踊りが転嫁したものとも言われているようで、主に天竜川流域にこの種の催事がたくさん残されているようです。内容がだいぶ違う様子なので、ルーツが同じなのかはわからないですが。
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小河内に伝わるひよんどりというのは、毎年大晦日の深夜、つまり新年が開けてから村の若い衆らが集落を練り歩いてネリコミという事をやるそうで、激しく身体をぶつけあって威勢を張るような行為だそうです。


母がいうには、若い人がまだたくさんいた昭和30年代や40年代のころはそれは激しいネリコミだったようです。今では若い人がほとんどいないので、そういうのもまだやられているのか?今年の正月はチャンスがあればぜひ拝見してみたいと思っています。


そんなメンパの神様《イセソーホー》さんのお墓が今でもあると知り行ってきました。

小河内集落の南西。お堂の山の下あたりだと思います。茶畑を抜けて行くと大きな榊の巨木があり、茶摘みをしていたおばあさんに教えてもらいました。

いろんな本を読んで探してみましたが、イセソーホーの漢字が伝承されていないようでわからなかったのです。そこからいろいろ考えてみて、北条早雲という戦国時代黎明期の武将の雅号が伊勢宗瑞というそうで、この人実はかなり謎の人物らしく出自もまだよくわかっていないみたいです。今川家の食客だった浪人からあっという間に関東を支配し北条家を名乗るようになったそうで、私が勝手に推測したのは金山の職能集団がからんでたのかな?と思ったのです。
小河内の奥には笹山金山というそれこそ後年までかなりの金を産出していた金山があり、柄杓や桶なんかもその水出しに使われていたとか。それが長じてメンパの技術になったとかいう話です。


まったくの推論なので根拠もあるわけではないのですが、イセソーホーってひょっとしたらこの伊勢宗瑞と何かの関係をもっていたのかな〜等と思った次第です。朽ちたお墓がいくつか転がってるくらいしかないので、調べようもないですけど、いつか歴史に詳しい人に出くわしたいと願っています。


そんなメンパの神様のお墓にお参りをし、技術の継承ができるようにと願かけて参った次第です。
自分で作れるようになったら、メンパにお神酒を入れてお供えしてこようと思っています。

2015年5月 

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